大井町のSさんとの再会を夢みて


Sさんからいただいた年賀状

その方はSさんという方なのですが、当時頂いた年賀状(クハ86の版画が彫られている)の住所を頼りに、大井町の駅からニコンの方向に歩いて探しました。

Sさんからは、古くから地元に住んでいると伺っていましたので、再開発などで町の様相が変わっていない限り、同じように古くから営んでいる商店のご主人などに尋ねることで、何とか見つかるのではないかと楽観していました。

実際に行ってみると、再開発されていなかったのですが、車が一台通れるくらいの道沿いには、年賀状の番地に該当する家は見つからず、その通りに老舗の時計屋さんが店を構えていましたので、そこのご主人に伺ってようやく場所がわかりました。

そこは、自転車がやっと入れるくらいの狭い路地に民家が建て込んだ場所で、その路地に入るには、これも古くから続いているであろう米穀店の軒下の勝手口のようなところから入っていったのですが、やっとたどり着いたという感じでした。

Sさんのお宅はすぐに見つかり、お年を召したお父様が出てこられました。そして、そこで考えもしなかった事実を知らされました。

Sさんはすでに故人になられていたのです。

私は、しばらく呆然としましたが、持ってきた年賀状をお父様に見ていただくと、「これは息子の字だ」と、やや語気を強めに話し始め、もう亡くなってから相当な年月が過ぎているようで、私は、のこのこと出かけて行き、お父様に悲しい思いをよみがえらせてしまったのではないかと後悔しました。

お父様の話では、車はあまり好きではないので、いつもは電車で写真を撮りに行くのだが、この日に限っては友人の車に乗せてもらい、奥多摩方面に行った帰りに自動車事故に遭われたそうです。

中央線を越えてきた対向車を避けようとして、電柱に衝突したとのことでした。

お父様は、「息子には何の落ち度もなかった」とおっしゃって、その無念さと悔しさがひしひしと伝わってきて、私もいたたまれない気持ちでした。

Sさんは、お父様の話では、「優しくて、誰にでも好かれる息子で、鉄道が好きで、時間を作っては日本中に出かけていた」とのことでした。

私は、Sさんとは昭和52年8月にDF50の撮影で、日豊本線田野駅から青井岳寄りのすり鉢状に開けたところでお会いし、いっしょに撮影しました。

この時、この場所の日豊本線にかかる農道の小さな橋付近で、Sさんとお連れの方の3人で記念撮影をしたのですが、Sさんは暑いからと言って、パンツ一枚でした。記念写真もパンツ一枚で写っていた大変おおらかな方でした。

DF50の撮影後、田野駅に戻る途中の切り通し区間沿いにあった大衆食堂で、夕食をいっしょにとったのが忘れられません。

この当時、私はまだ未成年でしたが、撮影後の一日の終わりには、良くビールを飲んでいました。この時もこの食堂でビールを頼んだら、Sさんに叱られてしまいました。

わずか2日間でしたが、「おおらかで優しく、頼もしい兄貴」という印象の方で、いつまでも記憶に残る方でした。

これは余談ですが、たしか漫画本だったと思いますが、「つる姫じゃ〜っ!」という漫画のことをSさんはよく話されていました。私は、漫画は読みませんので、「知らない」と答えると、ぜひ読んでみなさいとおっしゃるので、後日、単行本を1冊買ってみましたが、読まずにそのままになってしまいました。

その後、年賀状のやり取りが途絶えてからは、気にはなっていたのですが、いつか上京した時に時間を作って訪ねてみたいと思いつつ、年月が経ち、今回ようやく訪ねることができたものの、まさかお亡くなりになっていたとは夢にも思いませんでした。

人間の人生、こんなことがあるのかと、つくづく考えさせられた出来事でしたが、私の場合も山陰本線での踏切事故がありますから、生と死の境目の無常を考えずにはいられません。

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