| 山陰本線 踏切事故 |
| 不謹慎だが、DF50510の前で記念撮影。 機関車は側面や助手席下部がへこみ、手すりが脱落したり、また解放てこが八の字に変形し、スノープロウが破損している。 右は弟。その横の目をつぶっているのが私。その後ろを負傷した乗客の救助に向かう地元の人たちが走る。(撮影は父) |
| 事故直後の逃げまどう乗客。(撮影は父) |
| 事故現場を心配そうに見守る地元の方たち。倒れた客車の下には、下敷きになった乗客が救助を待っていたが、何人かは助からなかった。 先頭のDF50510は、写真の手前側、少し離れたところまで進んでようやく停車したので、この写真のフレーム内には収まっていない。(撮影は父) |
| 一面トップで事故の様子を伝える。 【西日本新聞 1970年3月30日(月)夕刊】 |
| 上空からの様子。機関車は、非常制動の範囲で停車したので、転覆した客車の少し前方に止まっている。そのため、この写真には写っていない。 【朝日新聞 1970年3月30日(月)夕刊】 |
| 梅ヶ峠を過ぎるあたりまでは、赤矢印の座席に座っていた。 この写真には少々疑問が残る。それはDF50が、転覆した客車のすぐそばに写っている点である。これは私の記憶や他の写真と異なる。 【読売新聞 1970年3月30日(月)夕刊】 |
| 「踏切にまたも地獄図」、「モンペ血だらけ」、「うめく主婦の行商部隊」、「ミキサー車もバラバラ」などの表現は、現在では少々不適切な印象を受けるかもしれない。 これも時代の移り変わりを感じさせる。 【西日本新聞 1970年3月30日(月)夕刊】 |