DF50 500番台


日豊本線下り特急「富士」を牽引するDF50561。
DF50561は調子が良かったのか、良くお目にかかった。
【佐志生→下ノ江 1973年8月26日】


日豊本線上り普通列車を牽引するDF50523。
DF50523は過給器音が不安定で、一定速度で力行中でも「キーン」と言う音色(音程)の上下が他機よりも頻繁に現れた。
【青井岳 1977年8月10日】


日豊本線上り普通列車を牽引するDF50554。
過給器の「キーン」という音がもっとも大きかったDF50554。
南宮崎−鹿児島間電化の最後まで残った宮崎のDF50では、他にはDF50543とDF50544くらいしか過給器音が聞けなかった。他は、船舶用と交換したらしく(宮崎機関区の方の話しだが、未確認)、排気音も含めてDF50MAN車らしからぬ音を発していた。
電化用ポールが立ってからは、録音を主体にDF50を追った。
過給器音が聞けるDF50を中心に録音したのだが、その中で失敗エピソードがある。
DF50543牽引の2543レを西鹿児島まで録音した後、西鹿児島駅で機関士と話し込んでしまったため、客車のデッキにセットした録音機材の後片づけが遅れ、そのままDF50543に牽かれて鹿児島運転所まで連れて行かれたことがある。
録音機材を片づけている最中に動き出したので、最初はあせったが、この日は後のスケジュールに余裕があったので、難を逃れた。
以後、これを教訓に、はじめに後片づけを済ますことを心がけるようになった。
【青井岳 1977年8月10日】


日豊本線上り普通列車を牽引するDF50541。
DF50541は、山陰本線でおなじみの機関車だったが、晩年DD51に追われ、米子から宮崎に転属して日豊本線に返り咲いた。
【青井岳→門石信号所 1977年8月10日】


日豊本線下り特急「彗星」を牽引するDF50563。
ここはSL時代からの有名撮影地だが、ヘトヘトになった時は、駅のすぐ近くなので気軽に撮影でき、重宝した。
8月に入って2回目のこの訪問では、品川区大井から来られた方と田野付近で知り合い、撮影後、夕食を田野駅近くの大衆食堂でご一緒したことが思い出される。
SLが現役引退してからは、撮影に出かけてもファンに出会うことは希だったので、別の意味での新鮮な体験だった。
【青井岳 1977年8月31日】
大井町のSさんとの再会を夢みて


山陰本線下り普通列車を牽引するDF50545。
スノープロウに545の番号と2エンドの表記が見える。
旧形客車のころは、上の写真のようにデッキの手すりにつかまっての危険な曲乗り(機関車直後の客車のデッキにぶら下がっている少年)が、めずらしくなかった。
私も、トンネルの壁に足を当てたりしたものだった。
また、上り勾配で速度の落ちる長門二見の滝部よりの撮影地点では、走行中の客車から飛び降りるSLファンも見受けられた。
【梅ヶ峠→吉見 1973年8月3日】


山陰本線下り普通列車を牽引するDF50559。
一つ上の写真のDF50545も同じだが、このころは機関士席側のワイパーがまだ改造されておらず、原形のままだ。
また、DF50545の写真と同じく、当時は珍しくなかったハエタタキが、今ではなつかしい。
DF50559も晩年はDD51に追われ、宮崎へ転属した。
【安岡 1973年5月6日】


山陰本線下り普通列車を牽引するDF50529。
DF50529は、米子に最後まで残った3両のうちの1両。このころはすでにDD51と共通運用になっていたので、写真や録音は、米子機関区に問い合わせてからの行動だった。
【湯玉→小串 1977年10月23日】

元に戻る